【忌中】 H19年1月22日 享年71歳 午前5時20分永眠

イメージ 1

22日午前4時頃 目が覚める。
風の音と外を歩く猫の鈴の音が気になり寝れない。

4時15分 自宅の電話が鳴る。
こんな時間に・・・。
出ると、電話の向こうからお義姉さんの震える声が聞こえる。
義姉:『お義父さん、今救急車で運ばれたから。すぐ行ってあげて。近くの○○総合病院ね』
私 :『今、すぐに行かないと間に合わない?』
義姉:『・・・もうダメだと思う。すぐに行ってあげて』

父が救急車で運ばれるのは今回が初めてではない。前回は危篤状態ではあったが 実家から1時間はかかる 掛かりつけの病院に運ばれた。しかし、今回は実家から5~6分の病院。すぐに手遅れと判断した。

自宅から病院まで 40分はかかる。
どれだけ辛くても、痛くても弱音を吐かない父がまさか・・・
車を運転しながらも、私の気が焦らないのはなぜだろう・・・
自分の親が死ぬなんて想像できないからなのか・・・

病院に着くと 父の兄弟や親戚の人までも 治療室の外の長椅子で 父が病室から出てくるのを待っていた。ただ、一人泣き崩れる母。私が知る母は 決して声を出して泣かない人。その母が声を出して泣いている。やはり、いつもとは違う。

兄に今の状況を聞くと、心肺停止状態。

2日ほど前から微熱が続き 何度も病院に行くことをすすめるが 掛かりつけの病院に検診に行く日が22日だから それまで安静に寝てると 頑として病院に行くのを嫌がったらしい。

5年ほど前から肺を患い 近年は今度肺炎になったら命は危ないと 何度も入退院を繰り返し言われてきた。

ドアが開き 『ご親族の方、中のほうに』 と看護婦さんの声
ベットの上で 呼吸器を銜え横たわる青白い父
『病院に運ばれて1時間 酸素を送り続けてますが 呼吸も脈もかえってきません。すでに脳にも酸素がいってない状態です。』 

『午前5時20分 ご臨終です』

後は、お通夜から告別式と 大勢の方に見送られ 父は旅立ちました。

父の趣味は狩猟で この1月も山に行っていました。 
ただ、悔やまれるのは 父がなくなる2日前に 子供が実家に遊びに行きたいと言ったのに 私が連れて行かなかったことと 2月18日の父の誕生日をみんなで祝う予定になっていたのに 主役のいないお祝いになってしまったことです。